英子です。料理や家事にしろ、運動にしろ、「ズボラな人でも大丈夫」的なフレーズに弱いです。そもそもズボラとは何ぞや調べると『行動や態度にしまりがなく、だらしがないこと。責任感がなく、いい加減なこと。またそのような人』、語句の説明というよりほぼ悪口です。とはいえ自分は、夫と子供が部屋を散らかしていくはじからせっせと片付けていくほうですし、仕事も「天才じゃないぶん締め切りだけは守ろう」派、待ち合わせも5分前を目指していくほうです。そんな自分をどうしてズボラ認識しているんだろうと思いながら洗濯物を干していて、はっ、これだ!と思いました。もう7年?8年?くらい使っている、洗濯物を干す、ピンチの、洗濯バサミが、すでに3割くらい取れています。まさに恥をしのんでピンチがピンチです。ジャラジャラたくさんついていた洗濯バサミがひとつへり、ふたつへり、気づけば干せる洗濯物が格段に減っているのに、買い直そうとも修理しようともせず、そのまま7年ずるずるなんとか使い続けるこの感じ。そして干そうとしている手もとに目をやれば、なんと毛玉ができてきる靴下を持っているではありませんか。毛玉、これこそズボラの象徴です。「毛玉」ほど「ズボラ」と親和性の高い単語があるでしょうか。でも履けるからいいや、今日は人と会わないからいいや、会っても遠目から見たらわからないだろうからまあいいや、これですね。「ズボラな人でも大丈夫」という言葉に反応する自己認識は大変正しいということが、無事証明されました。
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